なぜ翻訳だけでは届かない?教育ローカライゼーションとは
「グループで話し合いましょう」と聞いて、どんな場面を思い浮かべますか?同じ言葉でも、教師の関わり方や話し合いの進め方、学習者に期待される行動まで、国や地域によって同じとは限りません。自国の教育上の「当たり前」が、他国でも当た…
教育プログラムに、「終わり」はあるのでしょうか。あるとすれば、それはいつでしょうか。
教材やプログラムが完成し、学校に導入され、実際に使われる。そこまでたどり着けば、一つの大きな節目です。では、その先には何があるのでしょうか。
長く教室に立ち、その後もさまざまな教育現場に関わってきたなかで、私が大切にしてきたのは、その教材やプログラムを通して、子どもたちの学びにどのような変化が生まれたのかということです。
今、教育とテクノロジーをめぐる議論に目を向けると、「使われたか」だけでは捉えきれない、その先の学びについて考えさせられる動きがあります。日本で教材やプログラムをつくり、学校に届けている人にとっても、これは遠い話ではありません。海外への展開を考えているなら、なおさらです。
ただ、これは不安をあおるための話ではありません。自分たちが届けているものを、もう一度、落ち着いて見つめ直してみる。今回は、世界で起きている変化も手がかりにしながら、「届けた後」に何が生まれているのか、一緒に考えてみた7いと思います。
教育テクノロジーが学校に導入され、実際に使われる。その先で、子どもたちの学びには何が起きているのでしょうか。
世界の教育現場に目を向けると、テクノロジーを使うことそのものより、それが学びにどのような価値を生んでいるのかを問い直す動きが見えてきます。
UNESCOは、学校でテクノロジーを使うこと自体を目的にするのではなく、学習目標に沿い、学びに明確な価値をもたらす場合に活用すべきだとしています。
今年、米国で開催された教育カンファレンス「ISTE+ASCD」に参加した際にも、教育現場でtechlash(テクノロジーへの過度な依存を見直す動き)が意識されるなか、「スクリーンタイム」から「スクリーンバリュー」へという視点が繰り返し語られていました。
「スクリーンバリュー」という言葉には、テクノロジーを使う時間の長さから、その時間が生み出す学習価値へと視点を移してみようという問いが込められています。
これは、テクノロジーを使うべきか、使わないべきかという二者択一の話ではありません。アナログの道具でも、デジタルの道具でも、それが目の前の子どもの学びにとって意味のある形で使われているか。教育現場で考えたいのは、そのことではないでしょうか。
もう一つ、この問いを考える背景に、教育を取り巻く財政環境があります。
OECDは、各国政府が限られた予算のなかで複数の支出課題に直面していることを示しています。アメリカでも、コロナ禍に追加された時限的な緊急資金ESSERの終了により、一部の学校・学区では財政的な調整が必要になっています。
こうした財政状況だけで、教育をめぐる変化を説明することはできません。ただ、限られた資源を何に使い、それが子どもの学びにどのような価値を生んでいるのかという問いは、先ほどの「スクリーンバリュー」の視点ともつながります。
「たくさん導入された」「よく使われている」。その数字の先で、子どもの学びにどのような変化が生まれたのか。
その問いを、契約の仕組みそのものに取り入れようとする例も出てきています。
その一例が、アメリカの学区がEdTechなどを導入する際の契約で近年登場している、成果連動型契約(outcomes-based contracting)です。
成果連動型契約では、支払いの一部を、あらかじめ学区と提供側で合意した学習成果と結びつけます。成果につながるための目標や指標、実施条件を共有し、学校側と提供側の双方が、その実現に向けて取り組んでいく仕組みです。
また、成果連動型契約では、導入するEdTechが研究やエビデンスに基づいていることや、測定可能な成果・指標を設定することも重視されています。
もちろん、これはアメリカの学区における調達の一つの仕組みであり、そのまま日本に当てはめられるものではありません。
それでも、ここには一つ、教育プログラムをつくり、届ける私たちにもつながる問いがあるように思います。
そのプログラムは「使われたか」。そして、その先で、子どもの「学びは変わったか」。
この問いを日本の教育に重ねてみると、どのような景色が見えてくるでしょうか。
日本の教育に目を向けると、まず見えてくるのは、子どもたちがICTを活用して学ぶための環境を整えてきた歩みです。
GIGAスクール構想によって、1人1台端末をはじめとするICT環境の整備が進められてきました。その目的は、端末を行き渡らせることだけではありません。ICT環境を活用し、「個別最適な学び」と「協働的な学び」を実現していくことも、その先に掲げられています。
現在は、国の基金を通じて、公立学校の学習者用コンピュータ等の整備・更新を支援する取り組みも進んでいます。
すべての子どもの手元に学びの道具を届け、それを使える環境をつくり、さらに維持し、更新していく。そこには長い時間と、多くの人の取り組みが重ねられてきました。
では、その環境が整った先で、子どもたちの学びには何が起きているのでしょうか。
日本の教育現場では、ICTを何のために使い、それによって子どもの学びをどう深めるのかという問いが、以前からありました。とはいえ、GIGAスクール構想による導入期には、まず端末を使える環境を整え、実際に活用していくことにも大きな力が注がれてきました。また、研究指定校などで組織的に取り組む実践がある一方、学校や地域、教師によってICT活用には差もありました。
では、環境整備が進んだいま、「使っている」という事実の先にある子どもの学びを、私たちはどのように見つめていけばよいのでしょうか。この問いは、これまで以上に大切になっているように思います。
そして、この問いを、教材やプログラムをつくり、届ける側は、どのように共有できるでしょうか。
海外に目を向けると、日本でつくった教育プログラムを別の国の市場に届ける際、前のセクションで見た成果連動型契約のように、提供したものがどのような学習成果につながるのかを問う仕組みに出会うことがあります。
もちろん、海外の制度がそのまま日本に入ってくるとは限りません。ただ、こうした動きは、教材やプログラムをつくり、届ける側が、「子どもの学びに何が起きているのか」という問いを教育現場と共有していくための、一つの手がかりになるのではないでしょうか。
GIGAスクール構想による環境の維持・更新が進むいま、自分たちが届けている教材やプログラムは、その先にどのような学びを生み出しているのか。海外の動きも一つの手がかりにしながら、改めて考えてみる機会が来ているように思います。
では、教育プログラムが子どもの学びに「違いを生む」とは、具体的にどのようなことなのでしょうか。
その教材やプログラムを通して、子どもの学びにはどのような変化が生まれたのでしょうか。
新しいことを知った。自分で問いを持つようになった。これまでとは違う見方ができるようになった。誰かと考えるなかで、自分の考えが変わった。学びに生まれる変化には、さまざまな姿があると思います。
こうした一つひとつの変化に目を向けることが、子どもの学びの深まりを捉えることにつながります。
そして、同じ教材やプログラムを届ければ、どの教室でも同じ変化が生まれるとは限りません。
ある教室では見事に活用され、別の教室では思うように響かないことがあります。そこには、学ぶ子どもたち、教える先生、授業時間やカリキュラム、そして教室の文化など、さまざまな違いがあります。
その教材は、目の前の子どもたちに合っているだろうか。先生が実際の授業のなかで使えるものになっているだろうか。その教室で大切にされている学びと、自然につながっているだろうか。
こうした問いを重ねていくと、教育プログラムの価値は、つくり終えた時点だけでは決まらないことが見えてきます。届けた後、その教室で何が起きるのか。そこまでを見つめながら設計していくことが、子どもの学びに生まれる「違い」につながっていくのだと思います。
ここまで考えてくると、もう一度、出発点に戻ってみたくなります。
どんな教材やプログラムにも、最初に願っていたことがあったのではないでしょうか。
「こんな学びを届けたい」「子どもたちに、こんな瞬間を経験してほしい」
その最初の願いは、いまのかたちのなかに、まだ生きているでしょうか。
手を加え、つくり込みを重ねていくうちに、「何を実現したかったのか」よりも、「何ができるか」が前面に出てくることがあります。それは、ものづくりの過程では自然に起こり得ることだと思います。
だから、ときどき最初の願いに立ち返ってみる。
いま届けているものは、その願いを、子どもの学びの深まりにつなげられているだろうか。
子どもの学びに変化を生み出すこと。それは、教材やプログラムをつくり、届けるときに、もともと大切にしていたことではないでしょうか。
教育プログラムは、届けた後に何を生み出しているのか。
そのプログラムを通して、子どもたちは何を学び、何を身につけ、どのような力を培ったのか。そこに、どのような学びの変化が生まれたのか。ここまで考えてきたことは、最後にはこの問いにつながります。
「こんな学びを届けたい」「子どもたちに、こんな瞬間を経験してほしい」。その最初の願いを、実際の教室の学びにつなげていくためには、つくる人、届ける人、そして子どもたちと向き合う教師や学校が、それぞれの立場から学びを見つめ、ともに考えていくことが大切なのだと思います。
海の向こうの教室でも、目の前の教室でも、最後に確かめたい問いは、きっと同じです。
その教材やプログラムの先にいる一人の子どもにとって、それは、確かに意味のあるものになっているだろうか。
教育プログラムは、届けた後からが本当のスタートです。
届けた後に生まれる学びを見つめ、ともに考え、ともに育てていく。学びの未来を、一緒にひらいていきませんか。
15年以上の欧米での教職経験と、Appleでの4年間にわたる教育者向けプログラムの日本展開統括を経て、Unfold Learning Design(ULD)を設立。教育プログラムが本来持つ革新性と教育的意図を守りながら、文化や教育環境をまたいだ橋渡しを実践しています。このコラムでは、教育ローカライゼーションや学習デザインをめぐる考察を、実際の経験をもとにお届けします。

堤 友也(つつみ ともや)
教育インテグレーションデザイナー